March 21, 2005

教訓的なエピソード

以前もちょっと書いたことがある画廊のオーナーから聞いた話。

このオーナーがまだ駆け出しの頃。この画廊に、ある絵画を買ってほしいという人物が現れた。
この画廊では絵画の買取や、オークションへ出品しての売却等も委託を受けているので、時々そのような客もやってくるのだが、その多くは、中央では無名な地元作家の絵画や、市場では二束三文にしかならないインテリア版画を、騙されて買わされた美術に明るくない人が売却を依頼してくることが多いのだという。

しかし、このとき持ち込まれた絵画は有名な画家が描いたと思われるものであった。
当然、その画廊オーナーもその作家に対する一通りの知識は持っていたので、たいへん興味を持ち始めた。

この絵画は自分ができるだけ安く買い取って、よそに売れば大変な儲けになる。何しろ高名な作家の作品であるが故にオーナーの商売っ気も大きくなる。

絵画を繁々と見る。「これを安く買い取ってうまくさばけば…」オーナーの頭の中は大きな利益を出すことで満たされていた。
見れば見るほど贋作ではなく本物に見える。
オーナーは買い取ることを心の中ではほぼ決めていたのだが、それでも用心のために一日鑑定させてくれと、その絵画を持ち込んだ男に言った。
するとその男は、自分は早急に現金を必要としているので今すぐ買い取ってくれないなら他を当たる事を考えているという。
オーナーは焦る。「けっして安いものではないので、すぐに買い取ることなどできない。一晩だけ時間をください」そう言って何とか時間を稼ぐことに成功した。

その男が帰ると早速、普段から取引のある別の画廊のオーナーで、その作家について自分よりも知識を持っている人物に問い合わせてみた。
その別の画廊のオーナーは、件の作家の作品の真贋を確認する数項目の着眼点を教えてくれた。

それに沿ってその絵画を見てみると、「贋作だ…」オーナーはショックを受けた。
何故自分はこんなことに騙されそうになってしまったのか、自分だってこの作家の作品についてはある程度の知識を持っているはずなのに、と。

しかも、面白いことに贋作だとわかると、前述の数項目以外にもおかしな点が次々と目に飛び込んでくる。
「あっ、ここも違う。あそこも違う」と…

結局、翌日その絵画を持ち込んだ男には「その絵画は贋作だと思われる」と言った上で、丁重に買取を断ったという。
その男は特に何も言わずにその絵画を持ってその画廊を去っていった。
恐らく確信犯なのだろうとオーナーは感じたと言う。

オーナーは私に述懐した。人間は欲に目がくらむと真実が見えなくなる。目の前に不審点がいくつもあるにもかかわらず、欲を満たすための都合のいい情報しか目に入ってこない。

完全に欲によって支配され、平常心を失った心は、結局大きな損失を招くことになってしまう。
くわばら、くわばら。株式投資などにも教訓としたいエピソードだ。

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January 23, 2005

草間彌生のエッチング

私は芸術に対する造詣などないが、絵画や写真などが好きなので、よく美術館
に行ったり、常連客になっている画廊があったりする。(と言っても絵画コレクター
ではなく、あまりたくさん絵を買うほうではないのだが…)

もう既に失念してしまって詳細が定かでないのだが、5~6年前に行きつけの画
廊で草間彌生の銅版画を1枚購入した。「かぼちゃ1994」という作品である。

草間彌生は特に好きな作家というわけではなかった。むしろ、あの強烈な色使い
のシルクスクリーンを美術館などで大量に展示されているのを見ると「もう勘弁し
てくれ」と言いたくなる方であった。

ただ、近年草間彌生の再評価(というか「ブーム」)があって、まあ、1枚くらい所有
していてもいいかなというくらいの気持ちで購入した。

未だに大量に作られているシルクスクリーンは、率直に言って食傷気味なのだが、
1990年代以降は作成されていない、そして今後も恐らくは作成されないだろう銅
版画であれば、そう価値は下がることもないだろうし、第一、絵そのものの雰囲気が
シルクスクリーンとは異なり落ち着いている「通好み」の作品であった。

当時、確か7万円くらいの価格で購入していると思う。その頃の銀座の画廊におい
ては同作品は9万円で売買されていたはずであるが、地元の画廊の店主とプライ
ベートでも親しくお付き合いさせて頂いていることもあってか、安く購入できたので
ある。

本日、その画廊で草間彌生の銅版画展が行われていたので出向いたところ、なんと
同じ銅版画の販売価格が当時の2倍以上の額となっていた。
店主に聞くと、私が購入して以降に草間彌生の作品について2回の価格上昇の波が
あったとの事。そして、銅版画は今後も上昇し続けて、同作品レベルのものは、最終
的には30万円台にまで上昇していくかもしれないとの事であった。

私は芸術品に対する造詣はない無粋な男である。だが、美術品を投機で売買するつ
もりは全くない。だから、この版画を売る気はない。価格が最終的に30万円台になっ
ても。早速、家族からは「売れ」という言葉が飛んだが…(-_-;)

版画なので蛍光灯の下にあんまり長時間晒したくないから、部屋に飾っていることが
少ないのだが、これからは、たまには部屋に飾ってみるか。

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December 24, 2004

443,280円

投 資 総 額 1,402,720円
時価評価額 1,846,000円

値上率 31.68%

平成16年1月からの配当受領累積額 20,790円

パリ市庁舎前のキス
このブログのサイドバーに推薦図書を載せた。そこで、そのうちの一冊の本の内
容のうち、ほんの一部だけ紹介したい。

“パリ写真”の世紀という本は20世紀前半から中期にかけて撮影されたパリを舞台にした写真の意味を読み解こうとした本である。

私は、ロベール・ドアノーという写真家のファンである。
今では既に絶版になっており、復刊のリクエストも多いと聞く「ドアノー写真集」
(リブロポート)のうち第1集「PARIS」(下記バナーが同一本)を私は持っている
のだが、ただ彼の写真が好きだというだけで彼と彼の写真に対する評価などは
全くと言ってもいいほど知らなかった。

とある美術愛好サークルで彼の作品を私が紹介することになり、このために、
彼のことを研究した書物を探したのだが、なかなか見つからず、諦めかけてい
たところで見つけたのが今橋映子著「<パリ写真>の世紀」である。

彼の写真はポエティック・ヒューマニズムとして括られて説明されることが多い。
これで括られた写真に共通するのは、市井の人々の哀感、子供、動物、老人
貧民などに注がれる優しいまなざしとユーモアを感じさせることである。
これは同時期にインドシナなどの戦場で戦争の悲惨さの告発や貧困の実態を
撮影していったマグナム系のフォトジャーナリズムの「ヒューマニズム」とは明
確に性格の異なる写真である。

ドアノーの写真はまさにそんなポエティック・ヒューマニズム写真の代表のよう
な写真家と言っても良い。
そのドアノーの代表作と言えば「パリ市庁舎前のキス」と呼ばれているもので
ある。お洒落なポストカードやポスターとしても広く世界中で売られている。

本書によって、多くのドアノーファンはちょっとがっかりする事実を知らされる。
人によっては、かなり強い衝撃かもしれない。
彼の(そして、おそらく当時のドキュメンタリー写真家の少なからぬ人々におい
ても)写真の多くが実は「やらせ」であったことを知らされるのだ。
現在と当時ではドキュメンタリーそのものの概念や、取材、表現方法に対する
認識が異なるとは言え、この事実は重い。

「パリ市庁舎前のキス」等は、パリの街角の普通の恋人同士を撮影した写真と
して1950年に「ライフ」発表されたのだが、その後爆発的な人気の出た1980
年代以降、「自分たちがあの被写体である」と名乗りをあげる者が続出し、ドア
ノーを相手取って訴訟をおこした者も現れた。
実は、この時の「ライフ」掲載写真は数組の俳優を使って撮影した「やらせ」であ
ったのだが…。
そして、1990年代に入ると、今度は当時本当にあの時の撮影に加わってい
た俳優の1人が、ロイヤリティーの追加支払いを求める訴訟を起こしている。
(結果はドアノー側勝訴)

このような事実を知ると、当時のドキュメンタリー写真に対する見方がかなり変
わってきてしまう。私たちが事実として認識している当時の映像が実は演出で
あったとしたら…

ともあれ、事実として見させられている映像というものを、どこか頭の片隅では
覚めた目で見ることができる精神態度を私たちは身に付けなければならない
ことだけは、これにより理解できる。正直言って目が覚めた思いである。悲し
いことだが。

そして、そのような事実を知った上でも私はなお、ドアノーの写真のファンであ
る。いつかは、あの様な写真を撮ってみたいと思いう。「やらせ」なしで…

本書は、ドアノーだけではなく、当時の多くの写真家を取り上げ、時代背景や
膨大な資料を丹念に調べあげ、縦横無尽に論じた芸術・文学論である。
写真という趣味は多くのジャンルに分かれるが、ジャンルを問わず、写真に興
味のある人は是非読んでいただきたい。


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